塗り絵をめぐる冒険

いち美術ファンによる、「目指せ、塗り絵上手!」な試行錯誤あれこれ。まったり気ままな塗り絵ブログ。

フランス見聞録 その6〜イル・ド・フランス日帰り編〜

 こんばんは♫

 久々のフランス見聞録、第6弾をお届けします。9/18、パリ周辺地域(イル・ド・フランス地方)をKさんの案内で見て周った日のことです。

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■9/18

 この日もパリは晴れでした。

 渋滞のパリを抜けて高速道路で東へ向かいます。

 

 最初の目的地はバルビゾン村。

 ミレーやコローといったバルビゾン派の画家が住み、多くの作品を生んだ閑静な農村です。

 この地で描かれた傑作と言えば、第一にミレーの『晩鐘』が挙がるでしょう。遠くの教会から聞こえる夕方の鐘の音によって、農作業の手を止めて祈る農民の姿が描かれた油絵です。

 その舞台と推定される畑があり、道路沿いに案内板が出ていました。
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 そして、その名作の舞台とはーー

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上のようなだだっ広く平たい農地でした。 

 地面と空の境界線が直線に近い水平な一本線で表わされている風景画がフランスやオランダの絵画にはしばしば見受けられます。

「もうちょっと構図的な面白味を考えないものかね?」

と長年思っていたのですが……フランスに来てみて腑に落ちました。

 何ということはない、現実の風景が本当に平らな横長の世界だった訳です。

  このバルビゾン村には村の随所に所縁の作品を写したモザイクタイル画が掲示されていました。

 朝早くてミレーの旧居は開いてなかった為、バルビゾン村は早々に切り上げて次の目的地へと向かうことになりました。

 

 次に訪れたのはフォンテーヌブロー宮殿です。

 ここはナポレオンのファンなら外せない聖地なのだとか(笑)。

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 とにかく広くて豪華絢爛な宮殿です。

「でっかいことはいいことだ〜♫」、

「装飾過多なことは簡素なことより断然いいことだ〜♫」

フランス革命前後の上流階級は信じていたに違いありません(笑)。

 "パクス・ロマーナ"と呼ばれる古代ローマ帝国の建築や工芸と似た"メガロマニア"とも言うべき志向性を感じます。装飾過剰に走るあまり、技術は高度なのに悪趣味と映る残念な一面も無きにしもあらず……(^o^;。

 好みに合うかは人それぞれかと思いますが、先立つものがないと絶対に造れない類の文化ではあります。この当時のフランスがいかに強国であったのか、肌で感じました。

 皇帝となったナポレオンがこの宮殿を根城にしたことから、館内にはナポレオンやその一族に所縁の品々が数多く展示されていました。

 ナポレオン着用の軍服もトルソーに着せてあったのですが、身長160cm程の風雅でも着られそうな寸法でした。

「本当に小柄だったのね」

と実感。学生時代の友人が

「小男は野心家が多い……」

とやけに重々しく語っていたのを思い出して頷いてしまいました(笑)。

 この低身長の軍人皇帝に興味がなくても、歴史や建築が好きな方、マリー・アントワネットのいた時代に憧れる方には一見の価値があると思います。

 特に、舞踏会の催された大広間は壁から高い天井へと絵画が飾られ、

「フランスのお貴族サマはこんな所で踊っていたのか〜」

と想像して楽しくなりました。
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 尤も、舞踏場は日本の都市部の小学校にある体育館と同じか少し小さいくらいの広さでした。壁や窓に接して林立する柱が太い為、ボーッとしていると壁にぶつかるのではないかと気になります。そんな粗忽者が宮廷に出入りしていたかは、分かりませんが(^o^;。

 

 フォンテーヌブロー宮殿を出た後、Kさんの操るワゴン車はモレ村(モレ・シュル・ロワン)に向かいました。

 フランス語で『シュル+河川名』は『〜川沿いの』ほどの意味で、同一地名の区別に使われるようです。

 この日訪れたモレ村は風光明媚で、アルフレッド・シスレーという英国出身の印象派の画家が移り住み、作品に描いた土地でした。

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 上の画像はロワン川の川辺で撮ったものです。空の青色を映す澄んだ水を好んでか、多数の水鳥が見られました。

 この水辺の美しさには、今回のフランス旅行でも鮮烈な印象を受けました。

 もしもっと絵が上手になって様々なモチーフを描けるようになったら、ぜひもう一度このモレで散策とスケッチをしたいと、ひそかに夢見ています。

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 この美しいロワン河の畔にあるレストランで昼食を摂ってから、カテドラル周辺まで歩き、シスレーの旧居を外側から一瞥して来ました。

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印象派の画家アルフレッド・シスレーがこの家で暮らし、没した。』

赤い文字の看板にはそう記されています(※母の監修済)。

 近くのカテドラルにも立ち寄りました。

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フランス北部に多いゴシック様式の聖堂です。

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 折しも建物の外壁や屋上を高圧洗浄機で綺麗にしている最中で、

ゴシック建築は手入れが大変そう」

と感じました。石造りの建物は傷みを放置しているとあっという間に見すぼらしくなるので、カテドラルの外観は土地の経済力が如実に反映されるのではないかと想像します。

 内部は装飾が少なく、比較的こざっぱりとしていました。

 キリスト教会やイスラム寺院ではしばしば

「不信心者を調伏したるわ!」

と言わんばかりの圧を感じることがありますが、モレ村のカテドラルにはそれがなく、異教徒にも優しい空間でした(笑)。

 

 モレを出た後は最後の見学地である、ロワン川の畔のグレ村(グレ・シュル・ロワン)に向かいました。

 グレはモレよりもなお鄙びた村です。

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 昼下がりでも人影は少なく、どことなく眠たげな空気が漂っていました。

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 ここに近代の画家:黒田清輝が一時期居を構えていたそうです。黒田の旧居の前の小路に彼の名前が付いていました。

 近くにカール・ラーションというスウェーデンの画家の名の付いた通りもありました。

 この村には他にガンヌの塔という12世紀の廃墟がありました。

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今にも崩れそうで、金網の外から見学することしかできません💦。

 この村で見るロワン川も美しく澄んでいました。

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 このようにして一日かけてイル・ド・フランスを"つまみ食い"し、夕方にはパリに戻りました。

 イル・ド・フランスの牧歌的な雰囲気と比べると、パリの喧騒は狂気のようにも感じられます。

 パリの大きな鉄道の駅はいつでも人通りが多く、皆速足で、JR東京駅のようでした。

 

 以上、イル・ド・フランス日帰り旅の一日を振り返ってみました。

 翌日からはストラスブール1泊旅行に行きます。

 良かったらまたお付き合いください。

 それでは、また〜(^^)/