塗り絵をめぐる冒険

いち美術ファンによる、「目指せ、塗り絵上手!」な試行錯誤あれこれ。まったり気ままな塗り絵ブログ。

【見聞録】桜の城と桃源郷〜後編:新府城〜

 おはようございます。

 4/4城攻めの日帰り旅、今回は後編です。

 

新府城址(山梨県韮崎市)

 甲府城を後にしてから10分ほど歩いて甲府駅に戻ります。発車時刻との関係で南口の武田信玄像は素通り💦。ここから中央線で西進して新府駅で下車しました。

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 新府駅の周りは桃の果樹園が目立つ静かな農村地帯で、なだらかな斜面に桃の花が咲き匂い、桃源郷の趣がありました。

 駅から徒歩10〜15分程で、目印の鳥居がみえてきます。

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 新府城は戦国時代、当地の大名である武田勝頼(有名な武田信玄の息子で、その家督を継いだ)が織田家の攻勢に耐えるべく、甲府盆地の西端に築いた城でした。
 武田方の奮闘も空しく、新府城は織田方に陥とされ、勝頼は別の城に逃げ込みます。しかし、そこで配下の武将に裏切られ、最後は自刃して武田家の歴史に幕を下ろしました。

 新府城も早々に廃城となり、城跡に当時の建物は残っていません。

 その後、城跡は武田家の慰霊を祀る神社となりました。鳥居が建っているのはそうした経緯によるものです。

 

 鳥居をくぐり、しばらく歩くと車道に出て、その向こうに赤い鳥居が見えます。

 そして、その奥に険しい石段も……💦。

 石段の脇には"乙女坂"という迂回路がありました。名前は可憐でも結構な傾斜で

「いっそ"老婆坂"がないものか……」

と嘆息しました。

 乙女坂もない所は、石段を上がるしかありません。

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 頂上(つまり本丸跡)に着く頃には、すっかり息が上がっていました。

 

 本丸跡には小ぢんまりした社殿がありました。

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荒れている訳ではなくても、あまり構われていない様子。縁起を記した看板や額なども見当たりませんでした。

 社殿の近くには舞殿と思われる建物もありました☟。

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 祭りの日には神楽でもあるのでしょうか?

 その他は目ぼしい建物がなく、適度に植物が植わっています。

 特に桜が多く、この日は見頃でした。コロナ禍の事がなければ花見客が多かったかもしれません。

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 一隅に勝頼ほか武田家の遺臣達の墓がありました。『信長の野望』で馴染みのある武将達が並んでいて、俄に心が浮立ちます♪。

 その近くに張り出した盛り土の上に立つと、桃の花咲くなだらかな丘の風景が遠望できました。

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雲に霞む遥かな山影が何という名の山なのか、私にはよく分かりません。晴れていれば八ヶ岳が綺麗に見えただろう、と聞きました。

 これ程の見晴らしであれば、軍団の往来がよく見えたことでしょう。城を建てるに適した場所だったのだと納得しました。

 

 別の一角には新府城の落成時期などが記された木製の碑がありました。

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 碑文によれば勝頼の在城日数は68日間。

 新府城の立地条件は悪くないとしても、建設に着手したのが遅きに失した印象です。 

「後手に回ったとはこのことか……」

などと分かった気になって本丸跡を徘徊すること暫し。

 雨が降ってきました。

 通り雨ならばいいなと少し待ってみたものの、どうやら当地はこれから本格的に降るとの天気予報。

 足元がぬかるむと悲惨なことになりそうだったので、撤退することにしました。

 武田流築城術の好例だという二の丸その他の縄張りも見てみたかったのですが(泣)。

 無理な深追いは禁物と、再訪を心に決めて駅への帰り道を辿り始めました。

 

■屋外でスケッチ

 新府駅は無人駅で、駅の周りには商店どころか自販機も見当たりません。ここに戻ってきた後は、ホームで1時間ほど電車を待つことになりました。

 

 実は、こんなこともあろうかと、実は油性色鉛筆とA5大のクロッキー帳を持って来ていたのです(^O^)v。

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 このお絵描き道具を使って30m程離れた所に植わる桃の木を油性色鉛筆でスケッチしました☟:

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 色数はさほど使わず、形と印象を捉えることを念頭に置いて描いています。

 電車が来るまで立ち通しでしたが、スケッチを始めてからは時間が早く過ぎたように感じました。

 周囲がとにかく静かで集中しやすかったのかもしれません。

 

 帰路は新府駅から高尾駅まで一本の電車で移動しました。

 途中の大月駅のすぐ近くに岩殿山という、岩肌が露頭した山があり、車窓ごしでも見るのが楽しみでした。

 というのは、新府城から落ち延びた武田勝頼が逃げ込んだ城が、この岩殿山にある岩殿城だったと知った為です。

 かくして新府から大月に至る車内では

「勝頼が落ち延びた道を辿っている〜♪」

と悦に入っていました。

 勝頼の正確な逃走経路は知らないので所詮妄想に過ぎませんが、この種の、そこそこ根拠のある妄想に浸れる点が、史跡巡りの醍醐味かと思います(^^)。

 いずれ岩殿城も見てみたいと感じる一方で、見るからに峻険な山の姿にしり込みする気持ちも湧き起こりました。

 新府城の石段と迂回路を登っただけで太腿がぷるぷると震える有り様では……(^o^;

「……当面、運動不足解消しないと」

 そんなほの苦い実感と歴史の余韻を噛み締めるうちに、列車はゆるやかに標高を下げ、日常の時間へと帰還したのでした。

 

 以上、甲府城新府城の日帰り旅をまとめました。

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。

 それでは、また(^^)/