こんばんは〜、風雅です。
引き続き『平安王朝絵巻ぬりえbook』より「八ツ橋(伊勢物語)」の制作話をお送りします。
本稿では、唯一未着色で残っていた主人公の男性☟を塗っていきます。
彼は、物語本文では『男』と呼び表されていますが、名無しだと紛らわしいので以下では『アズマくん』と呼びます。
■装束の配色
アズマくんの装束は『直衣』と呼ばれる貴族男子の日常服のようです。
都落ちの旅にどのような服装が相応しいのか、想像してもよく分からなかったので、ここは"風流な人"としての一面を表そうと思いました。
この場面と歌の主題の"かきつばた"。
実は、その名で表される色目が平安時代にはもう1種類ありました。すなわち、『表:二藍(ふたあい)、裏:萌黄(もえぎ)』の2色の組合せを指します。
燕子花の配色に用いた襲(かさね)の色目:『かきつばた』とは異なる色味ですね。
6色構成の襲の色目が女子の装束用で、2色構成の色目は男子の装束用だった、とざっくり理解しています。
ともかく、この2色を袍(「ほう」。上半身から膝下辺りまでを覆っている着物)の表と裏に使われているものと想定して塗っていきます。
平安時代の絹は薄く、裏地の色がうっすら透けて見えたとされています。裏側の萌黄色は袖口の他、光が当たって表地の色が薄く見える部分に使いました。
言葉にすると簡単そうですが…実際は殆ど経験のない"透け"の表現をするということでガチガチに緊張していました(笑)
最初に萌黄色をところどころに塗っただけで「手強そう」と感じた為、色の選択肢が少ない他の部分を並行して塗り進めることにしました。
という訳で、袍の二藍色に先立ち、脚を覆う指貫(さしぬき)を塗ってしまいます。
指貫の色は概ね年齢で決まっていたそうで、濃い程若く、年をとる程薄くしていったのだとか。
アズマくんは「自分は要らない人間だ!」と思い詰めて自主的に都落ちするあたり、若いか純粋すぎるかその両方かと感じられますので、ここは青年らしく濃い赤紫の指貫にしました。
888色鉛筆のフューシャパープルは鮮やか過ぎる印象だった為、地はポリクロモスのRed-Violet(194)を基調としています。
指貫の他、髪なども塗ってじわじわ外堀が埋まったところで、袍の攻略にかかりました。
表地の二藍は、濃く見える部分から徐々に広げていきます。
右の肩甲骨から地面ヘ下りる垂直の補助線をイメージすると、その補助線の周辺が最も濃く見えるのが分かると思います。
濃いところにとりあえず二藍色が着いたところで、光が当たって裏地の色が透ける部分に萌黄色を塗ってしまいました。
この後は、その部分の表地が透けるのが自然だと感じて貰えるように意識しながら、表地の二藍色を少しずつ濃くしていく工程になります(この"辻褄合わせ"が、塗り絵をしていて最も頭を使う部分かと思っています)。
集中し過ぎた結果、残念ながらこの工程の画像を撮りそびれました…💧
その為、いきなり完成形となりますが、着色後のアズマくんは下のように塗り上がりました☟。
■完成作品および物語解釈について
完成した全体像☟もご覧下さい。
うまく出来たかどうかは分かりませんが、概ね塗りたいように塗れた気がします♪
その塗りたい風景が、曇りの日やらくたびれた八ツ橋やらでやや陰気なものとなっておりますが(←)、これも『伊勢物語』の八ツ橋の場面への解釈ゆえでした。
というのも、アズマくんは都落ちの身の上
で、生来属していた"みやび"ーーつまり、洗練された宮廷風の世界の外側に弾き出されています。
そしてそれをはっきりと認識した瞬間に
「何と遠い所まで旅をしてきたことか!」
と慨嘆したのでした(※「からころも…」の和歌の後半が該当します)。
そこから推定すると、彼の眼前には"みやびではない"けれども歌心をくすぐる水景が広がっていて然るべきと考えられます。
本作品の八ツ橋は、そんな鄙びた雰囲気の象徴として、くたびれた外観になりました。
陰気な天候も、季節感と同時に、アズマくんの置かれた先行き不安な境遇を反映したつもりです(主人公の内面と外界が呼応するのが文学の常道ですからね〜)。
こうして言葉にしてみると、"読書感想塗り絵"は想像以上に理詰めの構成となるものだと分かります。
いきおい制作の記録も文字数多めとなってしまいました…💧
ただ、風雅自身はこの制作を思いきり楽しみました。何かを読んだり見たりした時に湧き出る感想や解釈を、調べ事をして裏付けを取ったり脳内で再検証したりしながら形にしていく過程は充実感がありました。
以上、4回にわたって「八ツ橋(伊勢物語)」の制作話をまとめて参りました。
ここまでお付き合い頂いた読者様には、感謝の言葉しかありません。ありがとうございます。そして、お疲れさまでした…💧
それでは、また〜(^^)/
【『伊勢物語』に関する追記】
・「『伊勢物語』の主人公と言えば在原業平ではないのか」と思われるかもしれません。が、古代からそういう解釈がなされてきただけで確定ではないこと、物語とは別に在原業平という実在の人物がいたことを考慮し、本稿では『業平』と呼ぶのを控えました。
【ちょっと参考にした文献】
・福田 邦夫『すぐわかる日本の伝統色』